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61年前の昨日、日本海軍の神風特別攻撃隊敷島隊の零戦5機が、レイテ湾に展開中の、アメリカ海軍機動部隊に突入した。一般的には、この隊が、初の特攻隊と言われる。もっとも実際は、10月21日に、この海域に展開中のオーストラリア海軍の巡洋艦に突入した、やはり爆装零戦の大和隊が初めなのだが、敷島隊は、10月20日に、最初に出撃した隊(敵艦船発見できず、基地に帰還)だったのだ。
この敷島隊の戦果は、小型空母「セント・ロー」撃沈、その他6隻に損害を与えた、と言う甚大なものだった。



まだこの頃は、アメリカ海軍も、まさか、爆装した”ゼロ”が全速でそのままパイロットごと突っ込むなんて、想定外の出来事だった。そもそも、百死零生の作戦など、士気の上でも、人道上でも、軍隊としてやってはいけないことである。しかし、彼らはやってきた。しかも、甚大な損害を与えている。それだけでなく、艦船の乗組員の心理的恐怖は、相当なものだったようで、即刻防衛策を施すことになり、特攻の効果は激減していく。
しかし、この戦果に気をよくした上層部は、本格的に特攻を主戦術としていく.........と言う話ではなかった。
実は、特攻が主戦術となったのは、ソレにさかのぼること4ヶ月前の天皇陛下の裁可があっての事。8月には、陸軍の爆撃機改装の”特攻機”が完成しており、10月には、茨城県の鉾田で”特攻隊”が編成されている。海軍でも、10月1日、茨城県百里原で、特攻機”桜花”を搭載、攻撃する、攻撃機隊の第721航空隊が編成されている。
ということは、「戦果に気をよくした......。」という、場当たり的なものでなく始まったということである。
なぜ、こんな事が始まったかは数々の説があるが、大体それらから想像できるのが、
「絶対防衛圏のサイパンまでアメリカ軍に取られ、ほぼ負け戦決まりだから、最後は、武人らしく、花と散ろう.....。」
という、なんだか江戸時代の武士を思わせるような、およそ、近代戦を戦う軍隊とは思えない考えである。
また、通常の出撃でも、制空権がない中、練度の低いパイロットが数多く出撃するものだから、未帰還機が激増し、ほとんど特攻と変わらないということもあった。
今話題の「大和特攻」も、考えとしては、そうかわらない。
だが、絶対に死ななくてはならないというのと、生きる望みがあるというのとは、えらく違う。しかも、敵に会わずに帰還しても、突入まで、何度でも逝かせる。ましてや、「大和特攻」の時は、大和と随伴の第二水雷戦隊の9隻の将兵数千人が特攻するのである。国家による、一種の虐殺だった。いくら言葉を飾ってもおなじである。

為政者と軍上層部の責任は重大である。なにせ、”一億総特攻”とかいって、国家をすりつぶそうとしたのだから.....。
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