Tue
01
05/2007
4月に入り、南ベトナム側の首都サイゴンが、とうとう北ベトナム軍が誇る中国製の130mm砲の射程圏内に入った。
レ・ミン・ダオが、南ベトナム陸軍最後の精鋭部隊、第18師団を率いて、最後の砦スアンロクに立てこもったのはそんなときだった。
スアンロクは、サイゴン近郊の海岸地帯の都市。サイゴン40km。車でたった1時間の距離というだけでなく、サイゴンから伸びる国道1号線と中央高原から伸びる国道20号線の合流点になる交通上の要所である。南ベトナムの失策は、ついに、そんなところに防衛線を張らねばならなくなってしまったのだ。もちろんここが陥落したときは、まさに最後である。
南ベトナム軍は、ギネスブックに、”史上最悪の軍隊”(首都圏防衛に当たることになる第25師団)に載るほどひどい軍隊だった。戦意は乏しく、レンジャー部隊や空挺師団など一部の精鋭を除くと、立派なのはアメリカ製の装備だけ。当然、出撃はそのまま敗北を意味するほど。アメリカの支援無しには、到底持ちこたえられなかった。
北ベトナム軍は、このスアンロク攻略に、カンボジア付近にいた第四軍団(3個師団兵員約3万名)を投入。数十両の戦車を押し立てて一気に勝負をかけた。4月9日のことである。今までの勢いにのれば、1日でかたがつくだろう....。
だが、南ベトナムのほとんど唯一の”猛将”レ・ミン・ダオが率いた”精鋭”第18師団は、ほぼ3倍の敵に対し、必死の防戦を展開した。
「ココを取られたら、そのまま、帰る祖国がなくなる。」のだ。
今までの勢いをとめたくない、北ベトナム軍は、次々に新手を投入。損害を無視して力押しに押した。
南ベトナム軍もここぞとばかりに、レンジャー部隊、空挺師団をヘリで急遽投入。まだ健在のビエンホア、タンソンニュエトの空軍基地から地上攻撃機を出撃させ、一歩もひかず守り通す構え。
激戦の末、4月13日ついに攻撃側が、多数の遺棄死体と戦車の残骸を残し撤退を始めた。とりあえず、守りきった。
この勝利の報を聞いたサイゴンは、おおいに沸いた。
「レ・ミン・ダオがいれば、なんとかなるんじゃないか?。」
もちろん、攻撃側は、軍勢を再編成しただけであり、実は、いまだに危機的状態であることには変わりがなかった。
そして、第18師団には、予備兵力なるものは、なかった.....。
レ・ミン・ダオが、南ベトナム陸軍最後の精鋭部隊、第18師団を率いて、最後の砦スアンロクに立てこもったのはそんなときだった。
スアンロクは、サイゴン近郊の海岸地帯の都市。サイゴン40km。車でたった1時間の距離というだけでなく、サイゴンから伸びる国道1号線と中央高原から伸びる国道20号線の合流点になる交通上の要所である。南ベトナムの失策は、ついに、そんなところに防衛線を張らねばならなくなってしまったのだ。もちろんここが陥落したときは、まさに最後である。
南ベトナム軍は、ギネスブックに、”史上最悪の軍隊”(首都圏防衛に当たることになる第25師団)に載るほどひどい軍隊だった。戦意は乏しく、レンジャー部隊や空挺師団など一部の精鋭を除くと、立派なのはアメリカ製の装備だけ。当然、出撃はそのまま敗北を意味するほど。アメリカの支援無しには、到底持ちこたえられなかった。
北ベトナム軍は、このスアンロク攻略に、カンボジア付近にいた第四軍団(3個師団兵員約3万名)を投入。数十両の戦車を押し立てて一気に勝負をかけた。4月9日のことである。今までの勢いにのれば、1日でかたがつくだろう....。
だが、南ベトナムのほとんど唯一の”猛将”レ・ミン・ダオが率いた”精鋭”第18師団は、ほぼ3倍の敵に対し、必死の防戦を展開した。
「ココを取られたら、そのまま、帰る祖国がなくなる。」のだ。
今までの勢いをとめたくない、北ベトナム軍は、次々に新手を投入。損害を無視して力押しに押した。
南ベトナム軍もここぞとばかりに、レンジャー部隊、空挺師団をヘリで急遽投入。まだ健在のビエンホア、タンソンニュエトの空軍基地から地上攻撃機を出撃させ、一歩もひかず守り通す構え。
激戦の末、4月13日ついに攻撃側が、多数の遺棄死体と戦車の残骸を残し撤退を始めた。とりあえず、守りきった。
この勝利の報を聞いたサイゴンは、おおいに沸いた。
「レ・ミン・ダオがいれば、なんとかなるんじゃないか?。」
もちろん、攻撃側は、軍勢を再編成しただけであり、実は、いまだに危機的状態であることには変わりがなかった。
そして、第18師団には、予備兵力なるものは、なかった.....。
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