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「あの日の凱歌は幻だったのだろうか........。」


レ・ミン・ダオは、アメリカ、ニュージャージー州の自宅で、一人つぶやいた。1994年、長い再教育キャンプ生活から解放され、妻子の住むアメリカへの出国許可がおりた.....が、妻はすでに別の男性と再婚。子供と一緒に暮らすも、一人の時間がむなしく流れた。


1975年3月、北ベトナム軍は、国境非武装地帯とプレイクに陽動攻撃を加えた。”春の攻勢”である。これを本格的攻勢とみた南ベトナム軍は、突然、戦略上の要地、バンメトートを含む中部高原を放棄した。理由としては、防衛線を南にまで下げ、防衛力を強化するという、戦略的な撤退であったが、この国の常として、現地部隊に十分な説明がされず、取るもとりあえず武器を捨て、裸足で”逃げ出した”というに等しい状態に陥った。さらに、追い討ちを掛けるかのように、約40万人の避難民が逃げ惑った。

終りの始まりである。

その後の南ベトナムの運命は、まさに雪崩のごとく。
3月20日、ビンロン省アンロク陥落。3月26日、テト攻勢の際、激戦地となった古都ユエ陥落。そのとき、南ベトナムの重要な根拠地ダナンは、守備隊がそのまま暴徒となり、市民を巻き込んだ大混乱の末、我先に海軍の艦船で逃げ出した。

そのころ、サイゴンでは、あらゆる手段を使って、国外に逃げ出そうとする人が続出。ある者は、外国人と書類上の結婚をし、ある者は、賄賂を使って、なんとか出国許可を取ろうとしていた。
だが、街ではそんなことがなかったかのごとく、普通の生活も続いていた。レストランや商店では、人がごった返し、映画館には行列ができていた。



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