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昨日、昭和天皇が昭和50年以来、靖国参拝を取りやめた理由を記したメモが公表された

このメモの持ち主は、昭和天皇が崩御される1年前に宮内庁長官だった、故 富田朝彦氏。富田氏は、昭和天皇の会話をメモに書き留めていたとのこと。その中の1988年4月28日付けのもの。この日は、昭和天皇の誕生日の前日であり、最後に迎える誕生日でもあった。

共同通信が公表したメモの抜粋。

私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白鳥までもが、
 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
 だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ


ほんと、この話がわかったとき、昭和天皇は、実にはらわたが煮えくり返るような思いだったろう。もちろん、昭和天皇にも、戦争責任は、あると、私は考える。それは、本来やってはいけないことかもしれないが、国民の代表たる、内閣の決めた開戦の決定に、ひと言

「よせ。」


がいえなかったことだろうと思う。平時ならそれでもいいが、軍隊の統帥権が、勝手に一人歩きしてしまっている時勢を考えた場合、あくまでも、軍の統帥者たる、陛下本人が ~例え、命を賭しても~ 軍の暴走を止めなくてはならなかった。


正直な話、自分の事しか考えない小泉首相のような人間には、昭和天皇のように、戦前、首相として、国を戦争に導いた東條英機を初めとするA級戦犯、松岡洋右、白鳥敏夫のように、日独伊三国同盟という国家的失策を犯した外交官に、煮え湯を飲まされたような体験がある人間のことは、理解できないだろう。

個人の心の問題。」
で片付けているくらいだから。

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Comments

これはですね~・・・米国と開戦する以前に、
中国と戦端を開いてしまった時点で、軍部は失策を
こいてるんですよね~。
戦力を継続するためには、それ以前に、
すべての物事の消耗を避けて、争いを永く生き延びるには、
本当はどうしなければいけなかったのか?
この判断ができなかったことは、統帥権を持つ者の
失策といっても過言ではないでしょう。

昭和天皇の苦悩は、晩年も続いていたというワケですね。
歴代天皇の中でも、もっとも激動を生き抜かれた方です。

昭和天皇が、満州某重大事件の際に処理に手間取った田中首相を厳しく叱って、辞任→発病→急逝した際、元老の西園寺公望から、
「陛下は、政治向きの事に直接口出しするべきではない。」
と、たしなめられてから、あんまり強くはいえなくなったようです。西園寺は、「君臨すれど、統治せず。」のイギリス型の立憲君主制を頭においており、昭和天皇もイギリスに外遊した際に、イギリス王室の影響をうけていたこともあります。
ただ、1つ誤算がありました。西園寺は、まさか、軍部の力がここまで大きくなるとは思ってもいませんでした。天皇陛下にとっては、想定の範囲内の事が、彼にはわかってなかったのが、不幸でした。


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