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彼らがプノンペン市内に侵攻してから数時間後、郊外からの避難民を加え、200万人を数えたプノンペン市民は、まるで、山羊や羊のように追い立てられ、郊外に移動させられた。
そして、誰もいなくなった。


1975年1月1日、クメール共和国(現在カンボジア王国)の首都プノンペンは、すでに、ポル・ポト率いる共産ゲリラ、”クメール・ルージュ”によって包囲されていた。道路はすでに寸断され、包囲下のプノンペンでは、食料などの物資は、船で南ベトナムのサイゴン(現ホー・チ・ミン市)などから運ばれたが、市近郊のメコン川周辺に陣を張った彼らによって、全て阻止。代わりに、数年前に侵攻した(失敗した)南ベトナム軍の持ち物と思われる105mm曲射砲やロケット弾を市内に撃ち込んだ。
クメール共和国首相、ロン・ノル将軍率いる政府軍は、数では、”クメール・ルージュ”を上回っていた。だが、その数は、腐敗しきった軍幹部によって水増しされた(水増しした分の費用を懐に入れるため)数も含んでおり、装備こそアメリカの支援で、まともなものもあったが、練度、戦意、作戦能力は低く、アメリカの支援(ゲリラ地区への爆撃、物資支援など)を受けても、プノンペンの周囲25kmの範囲しか守れなかった。
そして、それが消えた現在、政府軍の運命も風前の灯だった。
驚くべきことに、この期に及んでも、学生の徴兵免除は続き、軍の腐敗は続いていた.....。




駐カンボジア・アメリカ大使、ジョン・ガンサー・ディーンは、1975年の”エイプリル・フール”に、本国からの”悪い冗談”をもらった。

「カンボジアに、アメリカの基盤を築くべく、シアヌーク殿下(1970年に、外遊中のロン・ノルによるクーデターで国を追われた)を首都に呼び戻すという妥協的和平交渉を行っているので、撤退拒否。」

”エイプリル・フール”だからと言っても、冗談にも程がある。いったい、首都さえ満足に守れない国に、どれほどの基盤を築くことができるのか!。包囲され、空港さえ砲撃され、生活に必要なものさえ底を突いている状態で、どれほど長く持ちこたえられるのか!!。
連中が首都に侵攻したら、基盤はおろか、我々は、”帝国主義者”として八つ裂きにされてしまうだろう....それは、現実味を帯びている。なにせ、アメリカは、”米国の傀儡”を支援しただけでなく、国土を爆撃したのだから!。
実際、クメール・ルージュの残虐行為の話も頻繁に聞くようになった。もっとも、ロン・ノルの政府軍も、ベトナム系の住民を数珠繋ぎにして、殺害し、河へ投げ込むなんてこともやってのけるのだが....。


だが、4月11日、首都近郊のポチェントン空港が使用不能になった時、”冗談”ではすまなくなり、ようやく本国も動き出した。
シャム湾に展開する、アメリカ海軍第76機動部隊に、カンボジア在住のアメリカ人、外国人、雇用関係にあるカンボジア人と家族の救出命令が出された。強襲揚陸艦”オキナワ”などの艦載ヘリコプター53機と360人の海兵隊員を、プノンペンの米大使館、南ベトナム大使館など(ちなみに、この国もその2週間後に崩壊する)に派遣することになった。
すんでのところで、ディーン大使たちの”地獄”は過ぎ去った。4月12日のことである。

だが、このときでさえ、まだ、映画”キリング・フィールド”の主人公のモデルとなった、シドニー・シャンバーグを始めとする外国人ジャーナリストを含む、約700人の外国人が残留し、フランス大使館に立てこもった。そして、その後のプノンペン市民の”地獄”を目の当たりにするのである。


4月16日、戦闘は終わり、翌日、クメール・ルージュがプノンペン市街に足を踏み入れた。粗末な黒い農民服にギンガムチェックのスカーフを頭に巻き、ライフル銃やロケットランチャーを肩に担いだ彼らは、まだ10代後半から20代前半ぐらい。ロン・ノル政府軍に勝利したにも拘らず、少しも笑みを浮かべず、刃物のように冷たく、鋭利な視線を市民に投げかける。
市民たちは、その冷たい視線に、自分達の未来を見たのだった。







その後、クメール・ルージュは、プノンペン市民を、一人残らず徒歩で農村に追い立てた。老若男女、病人を問わず。
そして、特権階級、エリート層、官僚、旧政府軍軍人は、”階級的復讐”として、見つけ次第金品、兵器は没収、射殺された。
4月は、カンボジアでも一番暑い月。その中を強制的に移動させられた市民の中にも、疲労、日射病、栄養失調で数多くの人間が死んだ。だが、その後に起こった”地獄”を考えた場合、この時期に亡くなったほうが幸せだったのだろうか。
生きるも”地獄”死ぬのも”地獄”



参考資料
・ウィキペディア
・NAM~狂気の戦争の真実(同朋社刊)
・ポル・ポト伝 ディビッド・チャンドラー著(めこん刊)
・本多勝一研究会重要文献解題「シドニー・シャンバーク~
プノンペンの2週間--陥落から脱出まで~」

・インドシナ半島の共産主義による人間の犠牲
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Comments

なんなんでしょうね、共産主義って。
参考資料読みましたが、気分がどんどん滅入ってくばっかしで。

本当に、こいつら何!?ってくらい滅入ってきました。あんまり滅入ったので、CARVIEWのみんカラにも書いちゃいました。


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