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広告の裏にでも書くようなことを書くブログですね。

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ドン・キホーテが放火で全焼してしまい、3人が亡くなった。その3人も、一旦逃げたが、逃げ遅れたお客様がいないか再度店内に入って遭難したそうだ。謹んで、ご冥福を申し上げる。
お客様には、死傷者はでなかったのは幸いだったが、例の圧迫陳列のため、通路に所狭しとおかれた商品につまずいたり、陳列が高すぎて迷路みたくなっていて、逃げづらかったようである。深夜でお客様が少なかったのは、まさに”幸い”だった。
あとで、”消防署は、何で指導を徹底させなかったのか?。普段買い物などに行ってきがつかなかったのか?”なんて意見をFMで聴いたが、
答え
「指導しても、圧迫陳列が会社の方針のため、全く聞かない。」
そもそも消防の指導に耳を傾けていたら、あんなジャングルに迷い込んだかのような、”圧迫陳列”なんかしない。スーパーの中にも、ああいう陳列しているところはあるが、うちの会社では、陳列の際には、通路の確保が大前提になっており、マニュアルにもある。考え方としては、買いまわりの際に、通路の真ん中に島陳列で、お客様の足を止めて”買わせる”より、自由に動いてもらって、”お買い上げいただく”というものである。
圧迫陳列は、限られたスペースで色々陳列でき、お客様が、足を動かさなくても、さまざまなものを買えるという利点があるが、やりすぎて、どこに、何があるのかわかりづらいし、そもそも、通路にもあふれんばかりに商品を置いているので、店内を歩き回ること自体が困難である、という欠点もある。
この事は、まさに災害時の避難には、重大な問題である。災害は、何時起こるかわからないが、逆に、何時起こるんだ?、というのもある。起きなければ、売り上げも上がるし、万事OKでしょうというのもある。
だが、数年前の歌舞伎町(?)でのビル火災では、非常階段に物を置いていたために、避難が困難となるなど、消防署の指導を無視したことから、多数の死傷者がでた。
また、20数年前の、ホテルニュージャパンの火災事故では、売り上げ優先し、増築につぐ増築を重ね、ホテル内が迷路のようになり、諸経費削減のためスプリンクラーや非常灯などの不備から、大惨事を引き起こしてしまった。
”現在”にばかり目を向けていると、”過去”の事に目を向けないことが多いが、消防法は、過去の事例から出来ている物も多い。もちろん、?ということもあるが、守ってこそのものであることは、言うまでも無い。
一時の繁栄も、不注意から、全て水の泡である。経営者は、損得より、善悪である。
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12月8日といえば、真珠湾攻撃の日だ。ところが、真珠湾と聞いて、
「真珠湾って......兵庫県辺り........!?。」
とかほざく香具師がでてきやがった。某新聞の記事だがな。最近、学校の授業で現代史は、適当に流す感じだからかな!?。私の学校もそうだったよ。そうそう、真珠湾は.....アメリカ合衆国の、ハワイにありますから.....残念!!。
ということは、まさか、アメリカと戦争していた事も知らない......なんてことはないよな....?。エミネムとかグリーンデイとか聴いている場合ではないぞ。
それはさておき、子育てについて、少し話をしよう。旧海軍に、高橋赫一(かくいち)というパイロットがいた。彼は、真珠湾攻撃の第一次攻撃隊の艦上爆撃機隊の隊長であり、攻撃の際には、真っ先に突撃した男である。出撃直前にその彼に、待望の男の子が生まれた。他の子は女の子なので、うれしくてたまらない様子。
真珠湾攻撃は、史実の通りに成功し、高橋も無事翌年2月頃日本に帰還した。その後、休暇が出て自宅に戻った彼がまずしたことは、生まれたばかりの赤ん坊を抱いて散歩に出掛けたことだった。とにかくうれしくてたまらない。そこいらじゅうに見せびらかして歩いた。
ところが、この行動が、後に大変な災いを呼び込んでしまう。その日は、大変寒い日で、生まれて数ヶ月の赤ん坊を連れて歩けるような天候ではなく、その日の夜に、赤ん坊は高熱を発してしまった。肺炎(?)まで併発している様子。あわてて、彼は医者を呼んだのであるが、その医者は、高橋にこう告げた。
「この病気に効く特効薬があるのだが、海軍の基地からまわしてもらえないだろうか?。」

特効薬は、当時大変な値段だったが、海軍には常備してあったようだ。”真珠湾の英雄”の高橋が頼み込めば、魔法をかけたように、おのずと手に入るかもしれない。しかし、彼は、骨の髄まで軍人だった。悲しいことに.......。
「陛下の軍隊のための薬を、私することはできない。」
そして、手術が必要になり、輸血する必要があったが、それに対しても、
「私の体は、陛下に捧げたものであり、勝手にすることはできない。」
と、拒否したのである。
結局、輸血は、妻がしたようであるのだが、結局、長男は、甲斐なく亡くなってしまった。
高橋は、通夜の際、ずっと夜通し亡骸のそばでじっと座っていたそうだ。その姿は、実に痛々しいものだったと思われる。自分が連れまわしたおかげで、息子を病気にし、”陛下の軍人”だったために、むざむざ、助かる命を落としてしまったのだから。
その後、高橋は、息子の後を追うように、昭和17年5月の珊瑚海海戦に出撃して、戦死してしまった。
現代では、高橋の行為は、確実に問題である。が、しかし、この事は、現代の感覚では論じられることではない。ただ、親の軽率な行動が、あらぬ災いを呼んでしまったのは事実である。まだ、1歳8ヶ月の息子を持つ私にとって、他人ごとではない。


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